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私の体験した不思議な出来事!

て い 子 の 証 言

それはあなたにも起こることなのです!

イントロダクションと第二次世界大戦の経験。


てい子さんとご主人

 私は1934年1月7日に広島県の瀬戸内海の小島で生まれました。第2次世界大戦が始まった時は7歳でしたが、家業の衣料雑貨店は物資統制令によって閉鎖を余儀なくされ、それに加えて全ての輸送船は攻撃の的になりましたから物資は極端に不足しました。とりわけ配給制になった食料では生きて行けませんので、家族の飢えを満たすために両親はささやかな農業も始めましたが、その他にも農作物の行商や闇物資を扱うなど、艱難辛苦をして私たちを育ててくれました。それで不在勝ちの両親に代わって病気の姉と弟妹の世話は私に任されました。

  私が10歳の秋、母と共に山の中腹の段々畑でみかんの収穫をしていた時、呉の軍港に向かって飛んでいた豆粒程に見えていたアメリカの艦載機の集団から一機が突然に向きを変えて襲ってきました。母の叫び声で二人は防風林に逃げ込もうとしましたが間に合わず、撃たれると覚悟して母が私を強く抱きしめ立ちすくみました。そして私が見たのは至近距離に迫った飛行機の窓越しに私達を狙っている青い眼をしたとても若い男性でした。しかし彼は何故か襲うのを止め急上昇して飛び去りました。多分若い母親と女の子なので一瞬撃つことを躊躇したのかも分かりませんし、間近に迫る山に気づき衝突を避けようとしたのかも分かりません。それが生まれて初めて、それもまじかに見た外人でした。今でもその時の記憶は鮮明です。

  その後1945年、当時私は11歳でしたが、8月6日午前8時過ぎ、突然視界が暗くなり瞬時に強い紫色の閃光で目がくらみ、引き続きお腹の底に響く大音響が轟きました。その直後に町の空襲警報が鳴り、私たちは学校からそれぞれの家に帰りましたが、火柱やきのこ雲を直接見た人たちも居て、口々に広島に“新型爆弾”が落ちたと話しておりました。私の住んでいた島からは学生や仕事を持つ人たちが広島市に出かけて住んでおり、又兵隊が足りなくなってきたために、新たに高齢者を召集し当日が入隊式の日でもありましたから、彼らもアメリカが落としたきのこ雲の原子爆弾で被災しました。安否を気遣った親族は急遽広島市に出かけましたが、広島市は爆心地を中心にしておおよそ2キロメーターの範囲の全てが破壊され、殆どの人々が亡くなり広範囲に渡って多くの怪我人が出たことを知り、全く意気粗相して町に帰ってきました。その後しばらくして彼らの中にも体調を崩す人が出て、やがてそれは原爆病のせいと分かりましたがなすすべも無く、中には亡くなられた方もおられますし、両親を亡くして親戚を頼って来た顔半分が焼け爛れた男の子もおりました。

恨みと「醜いアヒルの子」コンプレックス

  それらのことが何時までも私の印象に残こったことは想像して頂けますでしょう。世界で始めて広島に投下された、死と破壊もたらす原子爆弾によって私は意識の奥底にアメリカに対して深い恨みを抱くようになり、自分では気付かないままに徐々に心の中に恨みが蓄積し苦い根となって蔓延ってゆきました。それに加えて私の兄弟姉妹はどちらかというと美形の方でしたから、私は親戚や家族からの何気ない発言によって、物心がついた頃から強い“醜いアヒルの子”コンプレックスに悩まされておりました。通学途中に誰かが居ると回り道をしましたし、人前で話すことなど到底出来ない程でした。私の母親は私の行く末を案じて将来自立できるようにと、看護婦になることを勧めてくれました。しかしその後入学した大阪大学病院の看護学校で寮生活をする内に、私だけが「醜いアヒルの子 」ではないことを知りましたが。

  私は看護学校を卒業後も引き続き30年間阪大病院で働きましたから、その内に婦長になりました。当時の阪大病院は日本では最高の内の一つとされる病院でしたから外国から研修に来る医師や患者等多くの外人と接する必要がありましたが、私は全ての外人と同室することすら出来ず他の看護婦に任せました。そして、そのことが私の戦争体験に繋がる恨みのせいとは全く気付いておりませんでした。又私はコンプレックスのために極端な恥ずかしがりやで、看護婦生活をする内に少数の人との会話には徐々に慣れてきましたが、大勢の人に話すことは出来ませんでした。45歳ごろ一度大学の階段教室で話しをする必要がありましたが、その時自分が何を話したのかさえ思い出せない程でした。

  私が50才になった時、20才頃から患っていた心臓病が悪化したことや、より拝金主義になった世の中に見切りをつけて公務員であった長年の友人と共に退職して、大阪の東南にあたる和歌山県、潮の岬の最南端に近い人里離れた一軒家を借り、荒れた土地を開墾して釣りと果樹や農作物、花を育てる生活に切り替えました。高台から見下ろす美しい太平洋や鳥の声で目覚める生活は、私にとってパラダイスのように思えましたが、2、3年経った頃から美しい自然や恵まれた生活、それら全てのことが空しく物足りなくなり、徐々に私の心はそれに耐えられなくなってゆきました。

 その頃所用で上京した私は、東京に住んでいた姉を訪れました。姉は、素直にイエスを心に受け入れるなら、私に必要な愛と真理と幸せを受け取り充実した人生を送ることが出来ると話してくれましたが、私は神とか宗教には全く興味がありませんでしたし、当時の私は姉が何のことを話しているのかさえ理解できませんでした。しかし姉の言うことですからとにかく従おうとイエスを心に受け入れる祈りをしましたが、イエスが私を助けてくれることなど少しも信じておりませんでした。その夜東京から潮の岬に帰りついた私は、全くイエスを拒絶しわざわざ電話をかけて、もう少しで洗脳されるところでしたと大笑いをしましたから、姉は深く落胆したことでしょう。その後私は奇跡を見るまではイエスを受け入れた後何の変化も無く、受け入れたことさえ忘れておりました。 

一緒に住んでいた彼も私と同じ考えで、どんな宗教にも興味を持っておりませんでしたが、二人で人里離れた潮の岬に住み続けるうちに限りなく美しい大自然の計り知れない変化の中に偉大なるコントロールの力を感じ畏敬の念が徐々に芽生えておりました。

深い悲しみは奇跡が起き始めたことによって溢れる希望に変わりました

  魚釣りに出かけるために波止場に係留してあったボートに乗りこみ出発する直前に、共に住んでいた最愛の彼が、わたしの目の前で突然に激しい頭痛の発作をおこし、脳動脈破裂で倒れ意識不明になりました。その時の悲しみは言葉に表すこともできません。東京に住んでいた姉は、仕事を持っているにも関わらず私を慰めるために一番早く遠く離れた潮の岬に来てくれました。以前には奇跡なんてあるはずがないと堅く信じ込んでいた私はその頃から多くの奇跡を体験し始めました。彼はその3日後、意識が回復しないままに病院で亡くなりました。葬式が終わって弔問客がそれぞれ自宅に帰った後、私の後追い自殺の硬い決意を察した姉が一人残ってくれました。


1988年12月奇跡の1ヶ月前)
始めに姉が聖書を開いて希望の節を示してくれましたが、当初の私にはそれが何を意味するのかさえ理解できませんでした。その夜姉はとても長い時間をかけてイエスの愛について話してくれました。今も印象に残っておりますのは「イエスは癒しの香油であり痛む傷をそっと覆い癒してくれる」と繰り返し繰り返し話してくれたことです。そして事実そうなりました。

  夜も更けて、私の容貌が急速に変化していくのを見た姉は、私に鏡で自分の顔を見るようにと促しました。そして、私の容貌が全く変わり、4、5才の幼児のように若返っているのを見ました。その後、姉は引き続きイエスの人生や愛、力について話し続けました。私はその後も変貌を続けて次に鏡を見たときの私は全く幼子のようになっていて幸せいっぱいの笑顔をしておりました。


(1989年2月、奇跡の変貌後)
    それまでの私はこの世に生きる望みは全く無く、彼を失った悲しみに埋もれ自殺をしょうとしていた訳ですから、鏡に写った自分の顔を見て驚きました。

  その後とても幸せな気分のままにぐっすりと眠り、翌朝目覚めて初めに気付いたのは、私の視力が良くなっていて、読書の時に使っていた眼鏡は度が強すぎて使えなくなっていたことでした。それで度の弱い眼鏡を使いましたが後で眼鏡検査の結果、2度良くなっていたことを知りました。そして、同じ朝、30年間患っていて、病院を退職したもう一つの理由でもありました酷い痛みを伴った心臓病が全く癒されて痛みが無くなり、そのために全身に回っていた腫れも引き10キロほど体重がへりました。それは7年近く住んでいたその村の人達にも私が誰か分からない程の変貌でした。又左耳の絶え間ない耳鳴りと強度の腰痛も長年の持病でしたが、これもすっかり癒されておりました。全く神を信じていなかった私は長年看護婦をしていたせいもあるでしょう、ただ科学的、医学的見地で物事を見たり考えたりしていたものですから、私の驚きようは想像を絶するものでした。

  そして彼がこの世に存在しなくなったことを通して、この世は仮の住まいであり霊の世界こそ真実であることを悟りました。彼は亡くなる前3日間昏睡状態でしたが姉がイエスを受け入れるようにと促すと奇跡的に私の手を強く握り返し、姉が祈り終った後息を引き取りました。それで彼がイエスの元に行き、まもなく、今天国にある愛と平和を地上にもたらすためにイエスがもどられる時に、多くの天国の御使い達と共に帰ってくると信じることができて幸せを得ました。

   もちろん今まで手で触れ感じていた彼の存在を突然に失ったのですから浜辺の砂でさえも触感があるのにと慟哭もしましたし、もっと彼の幸せのために尽くせたのにと強い後悔の念にも苛まれました。そして耐えられない悲しみが込み上げて心が凍りつく度に必死にイエスの名を呼び求め、その都度温泉の湯に浸かった時のように私の心が暖かくなり涙も止まりました。あまりにも激しく嘆き悲しんだ時は優しいイエスの御手がそっと私を支えて下さり溢れる涙を止めて下さったのです。そのようにしてイエスはご自分が実在することを私に示してくださいました。イエスよ感謝します。

  聖書を読む前の当時のわたしには何故そうなるのか深く理解することはできませんでしたが、イエスは私のすぐ傍に居て、その限りない憐れみと心に沁みこむ愛をとおして、私が生きて行くために 必要な全てに渉って超自然的に働かれて、もはや自殺を思い起こすこともなく、その内に絶望感に苛まれることもなくなりました。私はどんな宗教にも全く興味を抱いておりませんし、むしろ激しく拒絶をしておりましたので、聖書には手を触れたこともありませんでしたが、突然に非常に多くの奇跡を見たことから薦められるままに聖書を読みはじめました。
 

東京に移り住み新しい人生が始まりました

  当時、霊的にもまったく幼子のようになって何事も出来なくなっていた私の代わりに体が弱く重い物の持ち運びのできない姉が、多くの奇跡によって殆ど一人で移転のための一切を取り仕切り無事に東京に移り住むことができました。姉は潮の岬に滞在している間中、村人や私にイエスの愛を伝え続け多くの人々がイエスを受け入れました。

  当時の私は、未だ聖書は読んでおりませんでしたが、主に感謝することにイエスが私に起こされた奇跡によってイエスを受け入れることこそ唯一の救いであることを示してくださり、イエスに献身する姉の貴い見本に従って私も証しを始めました。このことも奇跡の一つですが、その時を境に、私が長い間拘束されていた対人恐怖症から全く開放されました。そしてイエスは他の人の必要に目を向けるように導いてくださり、それによって私の自己憐憫や悲しみを和らげて下さいました。

  東京に来た私は姉夫婦が住んでいた近くにアパートを借りて住むことになりました。彼らはイエスを真に愛し、イエスのように愛に生きるためにイエスの弟子になった「ファミリーメンバー」と共に住んでおり、そこには何人かの外人も居りましたが、これも奇跡によって強い恨みを持っていた外人拒否からすっかり解放されていて彼らに対して何の違和感もありませんでした。

  生まれて初めて聖書を読み始めた私は、彼の死後から始まった多くの物質的、霊的経験が既に聖書に書いてあることを知り深く感動し、聖書を読むことに没頭しました。その後間もなく彼らの創始者であるファーザーデービットの書簡を読み始めましたが、それは神の神秘や人生の摂理を単純且つ明快に理解する助けとなり私にとって聖書がより身近なものとなりました。デービッド・プランド・パーグの書簡をとおして霊の世界が深遠で図りがたいことを学んだ私は彼が書いている全ての書簡を読み尽くしたいと切に願いました。イエスの愛が私のうちに迫り御言葉と真理に強い渇きを覚えたのです。

  勿論ファミリーの人達も地上に住んでいる他の人達と同じように、完全ではありませんから私も含めて失敗もしますが、ファミリーの目的はただイエスを愛し、お互いに愛し合い、この世の思い悩む人々が愛と真理を知ることによって真の幸せを見つけるために働いております。当時の私は、それほど深くは理解しておりませんでしたが、感謝することに、イエスが私を強く押し進めてくださいました。聖書や書簡を通して、イエスは私の人生における全ての面に抗し難い影響力を持つガイドであり超自然的な恋人、親友、夫であることを深く知ることができたのです。そして以前には決して想像したことも無い本当の幸せを見つけることが出来ました。イエスよ感謝します。

  イエスの救いは愛と喜びと幸せをもたらすことを知った私は、今日世界中に氾濫する多くの出来事を思い、イエスの愛こそこの世の孤独で希望の無い人々にとても重要であることに気づかせて頂きました。そして私自身も全ての面でより成長し霊とまことをもってイエスに近くなるために、御言葉を心に蓄えたいと言う強い霊的な飢えと願望を与えられて御言葉を読み続けました。そして「人はパンだけで生きるものではなく神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである」(マタイ4:4)という御言葉が私にとって生きたものとなりました。

  当初、私は熱に浮かされたようにイエスの愛と、終わりのときの警告をつげ知らせようと一人で出かけて行き人々に真理を伝え始めましたが、それは自分の肉の技、自分の力でありイエスの力が無くては何事も出来ないことを悟るチャンスとなりました。そのようにして敬愛して止まないイエスは全ての面で少しずつ私を導いて下さったのです。

私はイエスに従うために全てを捨てました

  私の看護職は国家公務員でしたから、今までに蓄えた貯金、退職1時金、年金を加えるとファミリーの奉仕に必要な資金のために多少の寄付をしても私の老後は万全と考えておりました。上京する前年の1988年9月に東京から始まった1929年の経済崩壊に似通った“ブラックマンディー”とそれによって引き起こされた“バブルの崩壊”の時、株を持っていた私も大きな損失をしましたが、しれは経済崩壊を推し進める黒い手の小手調べであり避けられない事実であることを東京にきて知りました。それで私は、弟が新しいビジネスを始めるために巨額の借金をしたことに心を痛め、心優しい弟が倒産して資産や生活手段を失ったときのために別途に纏まった資金を蓄えておくことにしました。

  このことを決めた夜、イエスはマタイによる福音書の6章を明確に示して下さいました。19「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。」:20「むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。」:21「 あなたの宝のある所には、心もあるからである。」

  上京後、銀行に信頼が置けないことを知った私は小切手や現金を鞄に入れて持ち歩いておりましたので、常に心が鞄に惹きつけられて居りました。それで21節を通してイエスは私の心に強く語りかけ“金銭”が私の神であることを教えて下さいました。引き続きイエスは語り続けられました。:24「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富(物質主義)とに兼ね仕えることはできない。」イエスは私の心に強く働きかけられ、私の人生の基準は全てをイエスの導きに委ねる代わりに、物質主義の虜になって金銭を神とし、自己中心的で自分の思考を神にしていることを 示して下さいました。そして「金銭を愛することは全ての悪の根である。」(1 テ モ テ6:10a)ことに心の目を開いて下さいました。

  心に語りかけるイエスに導かれて、たとえ愛する弟であれ物質主義が氾濫しているこの世に投資するのではなく、人々がイエスに心を開き、彼の優しい愛と恵みと赦しを知ることによって、全ての恐れを取り除き、生きているという喜びと情熱に溢れる神の王国を見つけるために活動している“神の家族”に投資することに決めました。

  驚いたことに翌朝まだその決定を姉に告げる前に、姉はその日弟に会うために一緒に彼のオフイスに行くよう誘ってくれました。弟は神やイエスに対して以前の私と全く同じ態度でしたが、以前には絶対に相容れなかった姉と私がお互いに愛し合う姿を見て、私たちのようにイエスを受け入れたいと祈りました。主は奇跡の力によって弟に永遠に続く神の王国、超現実世界の正真正銘の富を受け取るようにしてくださったのです。そのことをどれだけ感謝したことでしょう。

  そしてイエスが単純明快に言われた「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」 (マタイ6:33)の節が真実であることを知りました。それを通して主は私の信仰を強め、イエスの家族の一員として全時間を捧げ、決してこの世に逆戻りをしないという確信を抱かせてくださったのです。

イエスのために英国から来たスティーブンと共に働くことになりました


1992年夏、原宿で

  ファミリーのメンバーの人たちに初めて会った時、その中に4年前に絶望して自殺を試み、その教訓をとおして、今はフルタイムでイエスに従い、全てをイエスに奉げているイギリス人のスティーブンがおりました。彼も又生きていく目的はただそれだけでした。


  やがてイエスの導きによって二人は共に証しに行くようになり、私はもはや“醜いアヒルの子”では無く神の愛に包まれて空高く飛び全ての創られたものに福音を述べ伝えるイエスの白鳥達の一人であることに気が付きました。

  その後私たちは結婚し日本人だけでなく東京に去来する多くの国籍の人たちをも含めて一人一人がイエスの限りない愛と憐れみを深く心に受け止めることよって、彼らもイエスの愛の“白鳥”に生まれ変わることを切に願い引き続き東京の街角で神の言葉を配り続けております。

1995年9月、ウラジオストック・ホームレスの子
  近年、世界的に国家間の緊張を高めることによって戦争への恐れを引き起こし、又一人一人の心の過去、現在未来のあらゆる事に働きかけて不安を増強し、それによって人々の心を支配しようとする邪悪な霊に洗脳され、気付かないうちにより自己正義の罠に はまって、ただ自分の理解力に頼る人々が増えているのではないでしょうか。再び天国の愛と平和を地上に復活するためにイエスが間もなく帰ってこられる前に、世界中に起ころうとしている激動に対して心の備えが出来ておりますように、  

  皆様一人一人がイエスを受け入れ魂の敵がどのような恐れを吹き込もうともイエスの助けによって霊的なバリアに守られて真の平安を持ち続けられますようにと祈っております。「神は愛である。」(1 ヨ ハ ネ4:8)という単純な真理が唯一の答えなのです。

1999年8月6日、広島でプラカードをつけて

イエスの癒しの力は私の全ての医学的知識や計画を超えてはるかに優れていました

  2000年8月28日、高熱に伴う強度の発汗と悪寒、悲鳴をあげるほどの頭痛、強い視野狭窄(きょうさく)、痙攣(けいれん)発作のために意識不明となったスティーブンは救急隊員の単なる風邪という奇跡の連絡により、当日は緊急入院病室の無かった近くの歩いていける場所にある大学病院に運ばれました。レントゲン検査の結果、脳膿瘍を発見され、それにともなう脳髄膜炎まで併発しており緊急手術を要すると診断され他の病院に転送予定でしたが、主の恵みによって、一人のスイートな若い医師を霊感され、その病院に入院することが出来ました。医学的には手術の必要があるとされていましたが、主に感謝することに手術をする予定の3回とも中止になりました。

  病院に運ばれた直後のスティーブンは、検査のために体を動かす度に非常に強い頭痛を伴い、その都度ただイエスと神を賛美し主に癒しと赦しを求め続け、医師や看護婦達を全く驚かせました。そのことを不思議に思った医師が私に尋ねたことを通してイエスは貴い証しのための門を開いてくだり、スティーブンが入院している間に多くの人が救われました。また彼の祈りは緊急外来の外で待っていた、急を知り駆けつけてくれた貴い友人と私にもはっきりと聞こえ私達も共に祈りました。病室に運ばれた後も意識のないままに口を動かし続けますので、多分高熱のためにうめいているのではと耳を寄せますと、信仰の祈りの歌を続けて2つ歌っていたのです。

  「主は道を開かれる、道を私のために。 疑いを捨て、主を信じれば。主は道を開かれる」

そして:

「主を見つめよ、波を見ず。

主を見つめよ、信仰を持ち。

主を見つめよ、その約束。

主を見つめよ、主は答える。」

  私はそのことに深く感動しました。「天地は滅びるであろう、しかし私の言葉は滅びることはない。」( マ タ イ24:35)「語る者はあなた方ではなく、あなた方の内にあって語る父の霊である。」( マ タイ10:20)ことを実体験したのですから。感謝することにそれは当時非常に緊張していた私を励ますためにイエスが彼を通して歌っておられたのだと思います。

  長年総合病院で訓練した私の看護婦体験を通してもスティーブンの差し迫った病状はかなり重いものでしたから、彼は間もなく天国に召されると覚悟を決めておりました。翌日昼頃少し覚醒しましたが、私が誰かも分かりませんでしたし、数日後に移った総合病室の環境はかなりのもので、スティーブンの状態も最悪でしたが、彼の心はイエスにしっかりと守られ平安と喜びに満ち賛美と感謝の日々を過ごしました 。

  彼は右腕を少し動かす以外は全身不随になりました。その内に始めの膿瘍は殆ど縮小し、主が私に繰り返し繰り返し聖句で約束してくださった通りに、全く見えなかった右目が奇跡によって見えるようになりました。入院当初、彼は読み書きが出来ず理解して聞くことすら不十分でしたが、彼は御言葉に飢え乾き御言葉を読んで欲しがりました。スイートなファミリーのメンバーが訪れて読んでくれましたが、私も彼のために馴れない英語で読み始め、主に感謝することに「ローマ8:28」万事が共に働いて益となり私にも英語力がつきました。

  その後少しリハビリを開始するところまで来ていたスティーブンは再び半昏睡状態に陥り2つ目の膿瘍が発見されて、それは重大な問題を引き起こしました。彼は日常の全てのことを忘れて意味が全く理解できなくなり、聖書の節まで分からなくなってゆきました。それは私の心臓が縮む思いでしたが、イエスはそれを通して、私に約束された「スティーブンは癒される」という御言葉にしがみ付く、とても大切なレッスンを与えてくださいました。

  興味深いことに発病後長い間読み書きが出来ず理解力もかなり低下しておりましたが、以前から週1度来られる友人達に病室でバイブルクラスをするときには完全で、必要な節がどんどん出てくることは2度目の膿瘍の後も変わりませんでした。イエスがスティーブンをとおして彼らを導いて下さったのです。何しろ普段は1日に何回と なく祈る「主の祈り」も忘れたほどですから。再び主は「天地は滅びるであろう。しかし私の言葉は滅びることがない」( マ タ イ24:35)に対する私の確信を強めてくださったのです。

「2000年10月21日」 この日は画期的な奇跡の日です

  スティーブンはこの日突然に読み書きが出来るようになり、再び自分で御言葉を読んで理解でき、又聞くことにも問題がなくなりましたし日常生活の記憶も戻りました。退院後すっかり忘れた聖書を覚えなおすために彼は書簡にある聖書の節を一つ一つ聖書を開いて読み直し覚えなおしました。以前の彼は聖書の節を殆ど覚えていて空で言えた人ですから、私は切ない思いをしましたが、それは主に対する愛と御言葉への強い願望に対する見本として私の心に深く刻まれました。  

  これらの奇跡の全てはただイエスの御手の技であり、ファミリーや貴い友人たちが私たちのために必死に祈って下さるお陰なのです。それなくしては今日のスティーブンは存在しないでしょう。

  入院当初、脳外科と脳神経内科の医師達や看護婦達にとってこのようなケースは初めてで彼らはかなり当惑されましたが、スティーブンの視力が回復したことによって奇跡によって癒されたと明確に認めてくださり、それらを通してイエスは彼らの心に働きかけられました。スティーブンは全身不随から徐々に回復してリハビリも開始されましたが、殆ど体の均衡を失って居りましたので私の長年看護婦をしていたときに培った“医学的知識”から判断すれば彼は生涯車椅子の世話にならなければならないと思い込んでおりました。しかしイエスは奇跡を起こし続けられ手押し車で11月7日に退院した数日後には再び歩けるようになりました。

  この世で自分が学び知識を蓄え、思考し、第六感に頼ることで、余分な苦しみや悲しみを背負いましたが、主はそれを通して目に見えるもの、いわゆる哲学や思想、人間の理解力に頼るのではなく、ただイエスを信頼しイエスに全てを訊ねる必要があることをしっかり教えてくださいました。主よ感謝します。そして「わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。」(2 コ リ ン ト5:7)の聖句が、私の心の中に生きたものになりました。発病後2年目になりますが、今も、わたし達は可能な限り毎日出かけて行き、全ての人々がイエスを受け入れイエスの御腕の中で神の平安を得られますようにと神の御言葉を配り続けております。これらのことを私たちに起こされたことは、イエスの愛と癒しの力は決して失敗されないと言う証拠なのです。イエスよ感謝します。

2001年2月、退院3ヶ月後、自宅で

深い感謝を込めて

ここに、私は心を込めて愛するイエスとデービッド・プランド・パーグ、そして天の領域の全ての天使達、聖なる御使い達に深い愛と言葉に尽くせない感謝を奉げます。そしてこれから訪れる「終わりの時」に向けて、神のもとを出て天から下り神と人が共に住む天国の都を迎えるために私たちを導いているファミリーを紹介してくれた姉や生まれて初めて読む聖書や、デービッド・プランド・パーグの書簡の手ほどきをしてくれたスイートな日本人の兄弟それにこの世の霊にしっかり洗脳されて愛の次元を何一つ知らないままに突然にファミリーに飛び込み頓珍漢な私にとても多くの忍耐と憐れみを示してくれた、多くのスイートな兄弟姉妹そして私の夫スティーブンに言葉に尽くせない愛と感謝を奉げます。彼らは聖書やとても多くのデービッド・プランド・パーグの新しい書簡古い書簡をとおして神が今何を私達に語っておられるのかを教え、主を賛美し感謝することを教え、証しの方法を教えてくれました。今、私はイエスの恵みによって、より愛の霊の内に皆と一つになり、イエスが愛の王国を地上にもたらすために帰ってこられるその日まで、引き続きイエスの手足となって福音を述べ伝えたいと願っております。イエスよ感謝します。

私の経験はただ私達だけに起こったのではなくあなたにも起こることなのです!

  神に感謝することにイエスは2000前に子供にも分かる単純なメッセージと愛に生きる見本を示して下さいましたが、当時のユダヤ人の宗教家達は激しく逆らいました。そして今日世界は2000前と同じ状態になっていると思いませんか?  「そこでイエスは答えて言われた、人に惑わされないように気をつけなさい。」( マ タ24:4)「多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。」(:5)と言われました。あなたが「羊の皮を被った狼」( マ タ イ7:15b)を見分けるためには神の御言葉という基準が必要なのです。そして起ころうとしている「かつて無く今後もないような大きな艱難」( マ タ イ24:21)を乗り越えるためにも御言葉がとても重要なのです。イエスは「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。」(:35)と約束して居られるのです。

  イエスの貴い約束である数々の御言葉は、それまでに私の心の中に培っていた悲しみや苦い根を洗い流し清めてくださいました。私の身の上に何が起こったかというこのテステモニーは、一見私達だけに起こったユニークな出来事のように思われるかも分かりませんが、2000年の間のどの時代にも、とても多くの神の子供達は私達のように奇跡の体験をして彼らもイエスの“驚くばかりの慰め”を見いだしたのです。ですからあなたが素直にイエスを心に受け入れてイエスの生き方を、直接福音書から深く学ばれる内に、イエスがあなた方一人一人に重くのしかかる心と思いの呪縛 (じゅばく)から解き放たれるのです。 

  どうぞ心をこめて「イエス様、どうぞ私の心の中に入ってあなたの愛と真理の霊を与えて私を導いて下さい。イエス様感謝します。」と祈られますように。

  そして、もしあなたが聖書の福音書を読んでイエスについて学ばれるなら、イエスの愛がより深くあなたの心に留まり、昨今社会にはびこっている仮想現実の混乱の渦に巻き込まれて氾濫する利己的な生き方から解き放たれ、天に存在する超現実的な愛の力が、イエスにあって今地上にも実在していることを悟ることができるのです。「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」( マ タ イ6:7)

  この心の混乱はこの世の国籍、宗教、人種、信条からもたらされたものではなく私たちの遠い先祖、アダムとイブがエデンの園で正しい決断をしなかったことからもたらされた人間の性質なのです。ですから、あなたの思考の中に存在する仮想現実である知識の実“アップル”をかじってこの世の思考の虜になるのではなく、単にあなたの心をイエスに開き、あなたの人生に受け入れられますようにと祈っております。そうすればあなたは間もなく帰って来られるイエスの家族の一員となり、イエスの導きによってイエスの帰還の準備をしていることになるのです。

あなたに神の祝福が溢れますように!イエスの愛と喜びを込めて 
スティーブンとてい子



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